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  • 執筆者の写真Mana Ishii

これまでの歩み ~相談にまつわること ③ 大学~

更新日:2022年2月19日

前回の②(こちらのページ)のつづきの前に…。


②を書いた後に…自分が悩み、カウンセリングに興味を持ったことから、中3の頃は「精神科医」になりたいと思っていたことを思い出しました。

その頃にちょうど学校で、自分の将来のキャリアプラン(その頃は「キャリア」なんていう言葉は使われていませんでしたが)を書いて提出する…という宿題があり、その時も「精神科医」としてのキャリアプランを大真面目に書いたのでした。

(それに対して、担任の先生が「向いていると思います」とコメントを下さったことをとても嬉しく思ったことも、今、思い出しました。)


しかしながら、結局は、「精神的にしんどそうだし、体力がないから、あまり向いていないな…」と思い、いつの間にかその展望もどこかにいってしまったのでした。

(思っていたより「思い込み」、まさに「アンコンシャスバイアス」に影響を受けて色々なチャレンジをしていなかったのだな…と、書いていて改めて気づきを得ました。)


さて、ここから②のつづきです。


結局、大学では、当時、放送業界に少し興味があったことから、「演劇」を学問として学べるところに進学したのでした。

…が、専攻の希望を出して実際に分かれるのは2年生から(1年生での成績で希望の専攻に進めるかどうかが決まってくるシステム)で、1年の間に興味が変わり、「心理学…?」「教育学…?」などと色々と迷った結果、「社会学」を専門とすることに決めました。


その時には全く気付いていませんでしたが、実はこの選択が、今、私が関わっている「キャリア相談」の原点と結びついてきます。


私が選択した「社会学専修」では、3年生で社会調査の演習があり、各ゼミによって調査テーマが異なるため、これまた自分が入りたいゼミへの希望を出したのですが…。

私の希望したゼミ(企業がらみの調査を扱うところ)は希望者が多く、なんと、「くじ」に外れてしまいました(←今考えてみても、成績順ではなく「くじ」で決まるというのが、なかなかだなあと思います…)。


その代わりに所属することになったのが、「生活史調査」を行うゼミです。

過疎化が進むとある町から首都圏に移り住んだ方々がどのように都会に定着していくかを探るべく、一人一人の生い立ちから現在までの生活史をずっと聞き取ってまとめていく…という調査に私も加わることになりました。


今考えてもなかなかすごい体験だと思うのですが、自分が担当する対象者の方々には事前に訪問日時をお伝えしておき、その日時にその方々の自宅を訪問。

そして、全くの初対面(それも学生)にも関わらずお宅に上がらせていただき、結構な時間(長いときは3時間程度)、その方の生い立ちから現在の都会での暮らしまで、つまりその人の人生をまるごと、詳細に聞き取りをしていくのです。

当時私は千葉県市川市に住んでいたのですが、初対面の方の人生をあれやこれやと聞き取るために、都内を越え、埼玉や神奈川県内まで、時には片道2時間半近くかけて出かけていきました。

会社勤めの方、美容師さん、パン屋さん、小学校の校長先生…。色々な方の人生に触れました。


なにせ、「くじ」で外れて参加することになった…といったこともあり、率直なところ、「都会にどう定着していくか…」といったテーマに当時さほど関心があったわけではないのですが、この「見ず知らずの方の人生の聞き取り」の魅力には惹き込まれました。


全く知らない方の人生を聞かせて頂いている、という、この不思議さ。

知らない人にも一人ひとり、誰とも異なる(多くはかなり大変な)苦労がある、という現実。

不思議な縁に導かれて、それらに向かい合ってもがいたり乗り越えたりされてきた人生をお一人お一人から聞いた後に決まって訪れるのは、何とも言えない爽快感と、心の奥から湧き上がってくる温かさでした。

その感覚は、今でもリアルに思い出すことが出来るほどです。


思い起こしてみると、もう30年前となったその体験が、今の「キャリア相談」への関心を最も呼び起こしてくれたものの1つであったことは間違いないようです。

社会人としてのスタートは旅行業界で迎えることになるため、後にその体験が大きな意味を持ってくることは、当時は知る由もないのですが…。

                                (④につづく)      

(その過疎化が進んだ町は豪雪地帯にあります。当時、3月に実際に訪れましたが、5メートルくらいの雪の壁が建物の周りを取り囲んでいました…。そんなことを思い出しながら、今回の写真を選びました。)

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